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喜界島のだいたい
喜界島は、周囲48.6km.面積56.87平方km.の小島で、奄美大島東方25キロにあり隆樹珊瑚礁でできた台地状の島である。学術的には、凡そ10万年前にやっと海面にその姿を現したということになっています。
古代の動向には不明な点が多いが、日本書記斉明記の爾加委島(じかいじま)がこの島といわれる。中世には琉球に服属したが、1609(慶長14)年、島津藩の琉球征伐の結果、他の奄美諸島とともに琉球から分割されて島津藩に属した。その後80年間大島代官の管轄下にあったが、1963年(元禄6)年、新たに喜界島代官がおかれ、その支配に入って明治に至った。
代官支配下にあっては、琉球服属時代から続いた間切制度で行政が行なわれていたが、明治19年、この制度は廃止され、湾方、早町方の2村にまとめられた。
明治41年、島嶼町村制の施行によって両村が合併、喜界村と称した。大正8年、喜界村、早町村の2村に分村し、昭和16年、喜界村は町政を施行した。
戦後米軍統治によって、奄美諸島は本土と行政分離されたが、島民一丸となっての祖国復帰運動によって、昭和28年12月25日、完全復帰が実現した。同年施行された町村合併促進法により、昭和31年9月10日、両町村が合併、喜界町が誕生した。
喜界島の名称 |
書物 |
名称 |
「日本書記斉明記」 |
西暦600年代には爾加委島
(じがいじま) |
「日本記略」 |
貴賀井島 |
「吾妻鑑」 |
貴海島 |
「平家物語」 |
鬼界島 |
「琉球史」 |
奇界島 |
1945年の喜界島代官記で、現在のような喜界島となっているといわれている。
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歴史的に蘇る喜界島
喜界島は、七城跡、平家森等に込められている平家落人伝承や、俊寛僧都流刑伝承等、歴史的に掘り下げてみたい背景のある島である。「吾妻鑑」によれば、1187(文治3)年、源頼朝が、義経一派の残党や平家一門の残党が喜界島(当時は貴海島と呼ばれていた)に潜んでいるとみて、天野藤内遠景に喜界島追討を厳命し、追討が行われたとある。この事については更なる研究が期待される。
注目すべきは、喜界島の遺跡群から見られる歴史的背景である。とりわけ城久遺跡群から巨大な住居跡が発見され、それが大宰府の出先機関ではなかったかというかなり信憑性(しんぴょうせい)のある学説が出て来ている。
その証拠は、「日本記略」によれば、997(長徳3)年、奄美島海賊(南蛮人)が、筑前、筑後、薩摩に浸入したことあり、それに対して、998(長徳4)年、大宰府が貴賀井島(喜界島)に下知して、南蛮人追討の命令を発令し、999(長徳5)年、大宰府から都へ南蛮追討成功が報告されていることによる。これが大宰府出先機関が出て来た所以である。
また、出土する遺物の殆どが、本土、中国、初期高麗など、他所からもたされた物で、喜界島が南方交易の中継地であったのではないかという説もある。凡そ1000年昔の喜界島が興味ある姿で蘇りつつある。

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輝く太陽のもとに広がる、あくまでも澄んだ青い海と空、さんご礁の間をぬって遊泳する色とりどりの熱帯魚、広大な海岸線に自生sうるクサトベラ、天梅、アダン等の群生、バナナ、パパイヤの豊かな実りと芳香、ハイビスカス、フーゲンビリアの鮮烈な原色の花びら、ソテツ、ガジュマル等の熱帯樹等々に囲まれたのどかな集落。そこには素朴な生活が営まれている。
果てしなくつづく、さとうきびの葉かげにゆれる南十字の星明かりと、月冴えわたる夜のロマンの中に情緒豊かな民謡と三味の調べが流れる。
モクマオウ林の続く美しい海岸線は格好のキャンプ場、海水浴場となっている。
さとうきび農業が基幹産業であるが、ゴマ、花、果実の栽培も盛んであり、畜産業も発展しつつある。
俗化されていない豊かな詩情がただよう自然宝庫の島が南国の旅情を誘うことであろう。ちなみに、喜界島にはハブは棲息していない。
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地球上から見た喜界島は、北緯28度、19分。東経130度、00分。の地点にあって、太平洋と東シナ海境界線上にある。国境という枠をはずすと地球が丸く見えてくる。50億余の地球人が、この地球とそこにある自然を愛してほしい。
だれもがみんな対立よりは調和を望んでいる。
そんな地球の素晴らしさを実感し、地球人の夢をひとつに結びたい。
我々喜界町民は、地球上の恒久平和を念願し、平和と繁栄の確立にあらゆる協力を尽くすことを誓い、地球人宣言をする。
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南の島の貴婦人 オオゴマダラ
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オオゴマダラは、マダラ蝶科で、羽には白地に黒のまだら模様、羽を広げると、15センチもある大型の美しいチョウで、愛好者の間では”南の島の貴婦人”と呼ばれている。 分布域は、マレー半島からジャワ、ポルネオフィリピン、台湾等で、国内では食草のホウライカガミ(キョウチクトウ科)とともに喜界島が北限とみなされている。(町条例で卵、幼虫も捕獲を禁じている)
=オオゴマダラ保護条例=
平成元年3月24日施行
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喜界島は、アサギマダラ(浅黄班)の棲息地としても有名である。このチョウはマダラチョウ科で、青灰色半透明、開張10cm.内外、ガガイモ科の植物の葉を食べ、幼虫で越冬する。 分布は、日本全土、中国大陸、台湾からヒマラヤまで。数千キロに及ぶ長距離を移動することで有名。
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アサギマダラ
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サンゴ礁とみどりの島・喜界町の自然を守ろう!
昭和49年2月15日に指定された本公園は亜熱帯樹、隆樹さんご礁等の地域が公園区域として設定されている。
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喜界島の気候は、亜熱帯海洋性であり、四季を通じ温暖である。季節風は、夏、冬とも多いがとくに冬の季節風は交通は農業など各方面への影響が大きい。台風は6月頃から来襲するのが普通で、傾向としては8月が多い。
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春(2.3.4月)
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前半は早春、後半は春といえる。(菜の花の季節)
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初夏(5月)
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4月の末頃から5月の半ば頃までは安定した好天が多い。
(グラジオラス、鉄砲百合の季節)
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梅雨(5.6月)
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本土よりおよそ1ヶ月の早く梅雨に入る。5月半ばから雨の日が多くなり、日照時間が急激に減少する。たいてい6月末には明けるが、年によって遅速、長短がある。
(デーゴの花の季節)
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夏(7.8月)
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年間の最高気温もこの頃であり、降雨日数も少なく干魃になりやすい。8月の中旬になると台風が来襲するようになり、これにより降水量が増えることがある。
(向日葵、サルすべりの季節)
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秋(9.10.11月)
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9月になると気温は下がりはじめ、雨の量が年間でもっとも少ない時期となり、好天が続きやすい。9月末から10月半ばにかけて、夏型から冬型の天候に移る過度的な秋雨の期間がある。それがすむと、再び好天が続くが、しだいに冬の季節風が吹きはじめる。(ムクゲの季節)
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冬(12.1.2月)
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12月になるとぐずつく天気が多く気温もかなり下がってくるが、まだ完全な冬とはいえず、時々良く晴れた日が続くこともある。12月末から2月半ば頃までが冬であり、気温は最も低く天気もくずれがちで、季節風が吹き荒れる。
(緋寒桜、蕗(ふき)の花の季節)
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喜界島・地図

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◎船の案内 |
奄美海運KK フェリーきかい(3,000トン)
フェリーあまみ(3,000トン)
(代理店喜禎運送店・0997-65ー0057)
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◎発着日 |
○フェリーあまみ 鹿児島本港北埠頭発(毎週月・水・金)
喜界港着・発(毎週火・木・土)
○フェリーきかい
鹿児島本港北埠頭発(毎週火・木)
喜界港着・発(毎週水・金)
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◎お問い合わせ先 |
◆東京 03-5643-6170 ◆大阪 06-6341-8071
◆鹿児島 099-226-4141
◆名瀬 0997-53-2111
◆沖縄 098-861-1886
◆喜界 0997-65-0057
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喜界島→鹿児島の時間 (運航ダイヤ・運賃・各種割引・船の紹介・船室/施設案内・乗り場・申し込み/問い合せ)など…。
鹿児島→喜界島→知名航路 (運賃・時刻表・乗り場・運送約款)など…。
鹿児島 ー喜界島:11時間10分
奄美大島ー喜界島:2時間15分
【最新情報はこちらより】(平成21年10月1日改定)
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■■バス |
大島運輸滑界営業所 |
п@0997-65-0061 (喜界町湾) |
■■タクシー |
喜界観光タクシー |
п@0997-65-1811 (喜界町赤連) |
あいあいタクシー |
п@0997-65-3222 (喜界町湾) |
日の出タクシー |
п@0997-55-3260 (喜界町湾) |
■■レンタカー |
Jネットレンタカー |
п@0997-65-4355 (喜界町湾) |
喜界レンタカーサービス |
п@0997-65-1551 (喜界町赤連) |
深水レンタカー |
п@0997-65-0354 (喜界町仲間) |
サカエレンタカー |
п@0997-65-4800 (喜界町湾) |
ヒガレンタカー |
п@0997-65-0100 (喜界町湾) |
■■レンタルバイク・自転車 |
牧口モータース |
п@0997-65-0104 (喜界町赤連) |
MOTO・G |
п@0997-65-1149 (喜界町湾) |
喜界島空港売店 |
п@0997-65-4388 (喜界町中里) |
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※タクシー 1時間 3,500円 ※マイクロバス 3時間 25,520円
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●海水浴場
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中里 |
スギラビーチ |
空港より徒歩10分 1.0km. |
小野津 |
海水浴場 |
小野津集落に隣接 |
池治 |
海水浴場 |
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●キャンプ場
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中里 |
空港臨海公園キャンプ場 |
空港より徒歩10分 1.0km. |
湾 |
メンハナ公園キャンプ場 |
役場より徒歩10分 1.0km. |
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モクマオウの林の中で、そよ風に当たりながらの野外レクレーションも楽しさいっぱいです。 |
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●釣り
クロダイ、メジナ、アラ、ローニンアジ、イシガキダイ、ムロアジ、グルクン、その他喜界島一円の磯・漁港周辺が釣り場。船釣りもできます。
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●釣り船
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碇山旅館(グラスボート) п@0997-65-0207 |
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●ダイビング
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ダイブサービスSDC喜界 |
п@0997-65-1917 |
ヨネモリダイビングサービス |
п@0997-66-1166(早町) |
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●喜界ガーデンゴルフ
ショートコース9ホール(パー29) |
平日:2,000円土日祝:2,500円(18ホール)
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湾 п@0997-65-1855 |
貸クラブ・貸シューズ有り水曜日は定休日
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面積:56,90平方km(周囲:50,0km)
- 喜界町の人口 平成25年10月1日
現在
- 世帯数 3,522戸 (△7)
- 人口 7,632人 (△13)
- 男:3,593人 (△2)
- 女:3,939人 (△11)
※毎月中旬頃にデータを更新しています。( )は前月比
■喜界島の情報 = 喜界島ナビ.com
■デジタル台風:アメラス:喜界島
(喜界島基本情報・観測データとランキング・グラフ・気象庁アメダス)
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●大島紬
現在はさほど盛んではないが、奄美大島を代表とする特産品とされている。その起源は明らかではないが、亨保5年(1720年)に、薩摩藩から大島代官と島役人以外の紬の着用を禁止するという触れが出ており、この頃すでに盛んに織られていることがわかる。
大島紬の特徴は、軽く、あたたかく、しわにならず、しっとりとした身体になじみ、しかも着くずれしないという着心地の良さと、長い伝統と風土によって培われた独特の色合いにある。その色合いは、テーチ木染めと泥染めの2工程を経て染め上げられた絹糸が、締機と呼ぶ精巧な機織り技術により、絣模様に織り揚げられて出来たものである。
製品には反物のほか、ネクタイ、ハンドブック、草履、財布、コンパクトなどがあり、島の土産として販売されている。
●黒砂糖
黒砂糖の製糖期は12月から翌年の4月頃までで、さとうきびの搾り汁を石灰で中和し、約120〜130℃まで煮つめて製品にする。
●黒砂焼酎
米と黒糖を主な原料と醸造された蒸留酒で独特の風味をもっている。お土産用としても広く愛用されている。
●さとうきび酢
さとうきび、ばんじろう(グァバ)。花良治みかんを原料としてつくられ、食欲の増進、疲労回復、食当りの解毒作用また食卓の味付けに愛用されている。
●その他
黒糖を原料とした加工食品、貝細工品、ゴマ、ゴマドレッシング、ソラマメ、塩、草木染め等がある。
●喜界島の特産品 (黒糖焼酎・花良治みかん・喜界メロン・島バナナ・ごま・黒糖)
●島みかん(クリハー花良治みかん)
●喜界島の産物販売 (トマト・タンカン・パッションフルーツ・マンゴー・パイナップル・メロン)
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■□■□■□ーお土産品・特産品ガイドー■□■□■□
名称 |
所在地 |
電話番号 |
岩田商店 |
湾 |
0997-65-0065 |
喜界おみやげセンター |
湾 |
0997-65-3211 |
樺ゥ日酒造 |
湾 |
0997-65-1531 |
滑界島酒造 |
赤連 |
0997-65-0251 |
ふもと製菓 |
湾 |
0997-65-1146 |
(有)松村 |
赤連 |
0997-65-0156 |
山口製菓 |
塩道 |
0997-66-0028 |
空港売店 |
中里 |
0997-65-4338 |
農産物加工センター |
湾 |
0997-65-3666 |
市木崎商店 |
赤連 |
0997-65-0686 |
南村製糖 |
志戸桶 |
0997-66-0798 |
喜界島珊瑚企画 |
中里 |
0997-65-0171 |
喜界島産品開発 |
羽里 |
0997-65-0863 |
(喜界島から自由に持ち出せない青果・植物等)
みかんの草木、シークワーサーの苗木、ゾウノリンゴ、ゲッキツ、サツマイモ、
ノアサガオ、モミジヒルガオ、グンバイヒルガオ、アダンの実の炭など……
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■□■□■□ー喜界島の海・山の幸ー■□■□■□
海の幸 |
喜界島は玄人筋によく知られる磯釣り、沖釣りの宝庫である。沿岸、近海には海の幸を追う船団も見られる。季節毎の新鮮な魚介類は美味である。たとえば、伊勢えび、かんぱち、めばる、とびうお、夜光貝など……。
喜界島ならではの野趣たっぷりの味は、旅館、民宿でも注文に応じて食することができる。
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山の幸 |
山羊の焼肉料理、さしみ、スープ、…………。山羊料理は奄美のどの島よりも定評がある。豚骨、豚寄鍋、豚味噌汁、…………。旅館、民宿、食堂、どこでも味を楽しめる。
料理に添えて出される地酒(焼酎)は米、黒糖を主原料としており、こくがあり喜ばれている。
喜界島のマンゴー・タンカンは美味であり、また喜界島のみに産する花良治みかんの香り・味は専門家でも日本一と称え、香り高き皮の1つまみを入れた吸い物は絶品である。
自生のパパイヤの味は独特で、大量の酵素を含んだ果肉は胃腸の薬でもある。又、未熟の柔らかいパパイヤの味噌(醤油)漬は歯切れもよくお茶うけに最適である。
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喜界島は文正元年(西暦1466年)の琉球王の喜界島侵攻からおよそ150年間琉球王の統治下にあったが、慶長14年(西暦1609年)の島津藩の 琉球侵攻の結果、琉球から分割されて島津藩に属した。
藩政時代には代官所が置かれ、代官の下に六間切に分け大親役(後に与人役〜横目に代る)をおいて島政を行なわせた。明治2年、代官所を在 番所に改め喜界島六間切は三間切になり、それぞれ戸長をおいたが、明治19年、間切制度を廃し湾方、早町方の二村に改め戸長をおくことになった。
明治41年、島しょ町村制の施行によって両町村が合併喜界村と称した。大正8年喜界村、早町村の二ヶ村に分村し、昭和16年喜界村は町政を施行した。
昭和21年米軍覚書によって本土と行政分離されたが祖国復帰の悲願達成を叫びつづけ遂に昭和28年12月25日完全祖国復帰を実現した。同年、施行された町村合併促進法に基づき、昭和31年9月10日両町村が合併、喜界町が誕生した。
●教育と文化の沿革と概要 ●大島紬の歴史と沿革
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町章は喜界町の喜の平仮名を図案化したもので本町の合い言葉である「和」と「団結」を円によって表わし、他面古い殻を破って飛躍発展する意 志を左右に突き出た鋭角で表したもので、さらにこの章を逆さにしても「き」の字に変わりがなく町の円滑、明朗な行政を表わすものです。
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町花竜舌蘭(りゅうぜつらん)は長い歳月を日照りや風雨、波浪など自然の試練に耐えて生き抜き、見事な花を咲かせる根強さがあります。町民 もこの竜舌蘭にあやかって、どんな苦しみにもうち勝つ根性を培い、島興しに反映させようと町花に定められました
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緑は平和と安らぎの象徴です。四季に絶えることのない緑は、実り豊かな、そして平和で健康な長寿の島として、私たちの誇りです。 人情豊かな楽園の喜界島が、いつまでも美しい島でありますようにとの願いを込めたものです。
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